ニュース
2019年 寄付型ファンドレイジング
日本、シンガポール、オーストラリアで寄付型ファンドレイジングをはじめました。
皆様、ファンドレイジングのリンクのシェア、または募金の御協力を何卒お願い致します。
メモリー・オブ・ハナノ
活動内容
メモリー・オブ・ハナノは、2013年、日本人で初めてシンガポールでの臓器提供者となった小山華乃(おやまはなの)当時1歳6カ月の家族、友人、支援者によって、シンガポール、日本、そしてオーストラリアで運営されているチャリティー団体です。華乃の臓器は、シンガポール人の子供2人に提供されました。 日本では、臓器を提供した側の家族が実名でインテビューに応じた初めてのケースであったため、新聞やニュース番組等の様々なメディアで取り上げて頂きました。
目的:
- 臓器移植に関する正しい情報を発信する
- 移植医療のことをより多くの人に知ってもらう
- 臓器提供の意思表示について考えるキッカケになる
- チャリティーイベントを企画し、運営する。
チャリティーで集まった募金の主な使用目的:
- 移植候補者(レシピエント)への財政支援
- 移植医療の普及活動に対しての寄付
- 臓器移植の研究開発
臓器移植についてより多く知ってもらうことの重要性
2010年に改正臓器移植法が施行されて以降、本人の意思表示がなくても家族の承諾で臓器提供が出来るようになりました。 しかし、本人の意思表示がなく脳死と判定された場合、やはりご家族は判断に迷うようです。 平成29年度臓器移植に関する内閣府世論調査によると、本人が臓器提供の意思表示をしていなかった場合は、家族の判断で臓器提供を「承諾しない」が49.5%だそうです。 本人が提供の意思を表示していた場合は、87%の家族がその意思を尊重すると答えています。これも、臓器移植の現状についてより多くの人々に知っていただくことの必要性を感じた事のひとつだと思います。
移植に関するデータ(オーストラリア)
- 2019年現在、移植希望登録者数 1,400人
- 生体肝移植 238人 心臓停止後・または脳死下での臓器提供者数 554人 合計792人 (2018年度)
- 81%が臓器提供意思表示の重要性を認識していると答えたものの、実際に臓器提供の意思表示をしている人34%に留まっている (これは3人に1人のオーストラリア人が臓器提供の意思表示をしたことを意味する)
詳細に関して Australian Government - Organ and Tissue Authority
このオーストラリアのデータと日本の臓器移植の現状を比べてみると、日本での臓器移植の認知度はまだまだ低いようです。
移植に関するデータ(日本)
- 移植希望登録者数 13,691人 (2019年6月末現在)
- 臓器提唱者数 97人(2018年度)
詳細に関して 日本臓器移植ネットワーク .
ストーリー
活発で積極的で、誰からも愛されていた娘
華乃のことを、いつかブログに書きたいと思っていたのですが、なかなか実現できませんでした。まさかこのような形で娘のことを紹介することになるなんて、今でも信じられません。色々と思い出すのが辛くて、心に蓋をしてましたが、娘が生きた短い1年半のことを、そしてなぜ、臓器移植に至ったのかを、娘がの生きた証として少しづつ残していきたいと思いました。
2011年12月19日、長女が誕生しました。2855グラムの健康な女の子でした。名前は、妻の名前の一字をとって、華乃(はなの)と命名しました。
活発な娘で、「お母さんといっしょ」を見ながら毎日笑顔で踊り、「はなちゃん、もうお買い物いくよ!」というと、おもちゃのネックレスを付け、ママの靴を履いて玄関で待っているオシャレが大好きな娘。自己主張が強く、怒りだすと大変。床に寝そべって「私の言うことを聞くまで泣き続けるわよ!」と言わんばかり泣き続け僕たちを困らせたかと思えば、ママにだっこしてもらうと、すぐに泣き止み、近づくと、満面の笑みで僕にキスをしてくれたり。「今も生きていてくれたら、もう小学生だなぁ。どんな娘になったか想像つくなぁ」と懐かしくなり会いたくなって急にたまらなく切なくなったり。こんな思いを今でも繰り返す日々です。
すべてが変わってしまったあの日
2013年6月29日、いつもと変わらない週末。その日は、お友達とプールサイドで遊ぶ予定があるだけでした。
遊んでいる時、華乃がプールで溺れてしまいました。プールサイドに横たわった娘の小さな体の周囲にみんなが集まり、「はなちゃん、はなちゃん、聞こえる?」っと体を揺すりながら必死で話しかけました。
この時のこと、今でも、まるで映画のワンシーンを観ているかのように頭に浮かんできます。なんで、一瞬でも目を離してしまったのだろう。何も出来なかった自分に悔しくて・・・僕が、きちんと蘇生処置をできたら救えたかもしれないのに。
しばらくすると救急車が到着しました。 救急隊員の方が必死に蘇生処置を施してくれてましたが、心配停止の状態が続きました。 病院に着くと、個室の待合室に案内されました。 お医者さんから状況説明があり、まだ心配停止状態が続いているので、難しいかもしれないと聞きました。 妻は床にひざまづき「はなちゃん、はなちゃん」と叫び続け泣きじゃくるので、それからは妻を抱き寄せ、「何とかなるから大丈夫だよ」とひたすら言い聞かせました。 どれくらい経ったのかは記憶してませんが、お医者さんから「心臓が動き出しましたよ」と連絡が入りました。心配停止から40分前後だったと聞きました。
僕たちは、娘の近くに行きたいとお願いすると、集中治療室(ICU)に入ることを許可していただきました。 まだ治療が続いていたため、どうしたらいいかわからず、両親に電話をしました。「娘の様態がよくなって元気な姿が見れますように」と一緒に祈り続けてほしいとお願いしました。
長い1週間の始まり
娘は、夜中に専門の小児科医がいる病院に転院となりました。
1~3日目、最初の数日間は体を冷やし、脳の機能の回復を待つ低体温療法を受けました。人工呼吸器をつけることで心臓を動かしている、自発的呼吸ができない状態であることは理解していました。しかし、顔色や唇の色は事故が起きた時より、明らかに良くなっており、容態は回復しているように思えました。大好きだった「いないいないばあっ!」の曲を聞かせ、手を握って励ましたり、いつ意識が戻っても足腰が痛くなっていないように、妻と順番にマッサージを夜通し続けました。
3~5日目、検査で脳内に血液が流れていないことが判明しました。医師から「脳死状態」と説明を受けた後、「臓器を提供する意思はありますか?」という問いかけがありました。想定外の選択肢でした。即答などできるわけがありません。もう少し時間をくださいとお願いしました。絶対に助からなくなった娘の命が、死んでしまうかもしれない子供を救うならと、臓器移植コーディネーターとの面会を承諾しました。ただ、娘の回復だけを信じて待つ妻になんて説明をしよう。。。臓器移植の話を持ち出すことは、僕が諦めったってことになるのではないだろうか。。。
臓器移植なんて考えている場合じゃない。他になにかしてあげることはないのか?世界中のお医者さんに相談したら、だれか助けてくれる人がいるのではないか?と色んな思いが錯綜する中、コーディネーターの方との話し合いは回数を重ねていきました。それでもコーディネーターの方には、妻には会わないでほしいとお願いしました。
6日目、他の病院の先生にセカンドオピニオン、サードオピニオンを聞きに行きました。また、日本の親族に脳外科医の医者がいたため、脳のCTスキャンの結果を送り見てもらうことができました。でも結果はやはり脳死という診断でした。最終的には、妻にも両親にも相談し、脳死判定の実施に全員が同意しました。
7月7日(七夕)、最後の日
正式な脳死宣告は、7月7日の朝でした。脳死宣告には、いろいろチェック項目が設けられており、上から順番に1つずつチェックをしていくことになりました。耳に氷水をいれてみた際に瞳孔に反応があるかをチェックする検査などがありました。なんでこんなことになってしまったのだろう。惨めになり、そして娘がかわいそうで、周りにお医者さんが数人いましたが、ひとめをはばからず泣けました。検査をひとつひとつ実施していくことがあまりに辛く、でも、きちんと確認しないと、もしミスがあったら取り返しがつかないことになるという思いですべての項目のチェックを必死で見守りました。
7月7日、11:30、脳死宣告を終え、娘は脳死のため死去となりました。
まだ顔色もよく、眠っているように見えるだけの娘を連れて個室に移動しました。看護婦さんに、せめて最期にと「だっこ」をさせてもらえないか?とお願いしたところ、臓器提供のため、小さな身体につながれた無数の装置は外せず、許可が下りませんでした。そのため、小さなベットのよこに妻と代わる代わる添い寝をさせてもらい、首の下に手を入れ、そっと寄り添うように抱きしめて「今までありがとう。毎日華乃ちゃんのことを思うから、心配しないでね」と別れを告げた。パパもママもお兄ちゃんもみんな元気にしてるから、ゆっくり休んでて。あと数十年したらそっちに行くから。こんなパパの子供に産まれてくれてありがとう。生まれ変わったら、また家族になろうね。手術室まで付き添ったが、体が温かいままの別れとなりました。
最後に、この1週間、親族、友人、お医者さん、臓器移植コーディネーターの方たち、いろいろな人に支えて頂き、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。皆さんの支えがあり、過ごせた1週間でした。
折り鶴・チャリティーイベント
イベントの目的
折り鶴・チャリティーイベントは、日本人で初めてシンガポールでの臓器提供者となった小山華乃(おやまはなの)当時1歳6カ月の家族、友人、支援者によって、毎年7月、シンガポール、日本、そしてオーストラリアで行われるチャリティーイベントです。 イベントの目的は、臓器移植に関する正しい情報をしってもらい理解を深めて頂くこと。またイベントを通して、募金を募り、集まったお金は、クラウドファンディングなどを通じて関連する組織に寄付させていただきます。
募金の主な使途 *1
- 移植希望者への財政支援
- 移植医療の普及活動への寄付
- 臓器移植をより多く知ってもらうための啓蒙活動への寄付
1* 募金の使途は、メモリー・オフ・ハナノが寄付させて頂く団体によって異なります。詳しくは、寄付先の団体のHPなどを参照ください。
皆さんの思いを折り鶴に込めて
折り鶴は日本の子供たちが学校で学ぶ基本的な折り紙の形の一つです。千羽鶴は鶴を1000羽作り、糸などで綴じて束ねたものです。千羽鶴を作る理由の1つに病気の治癒祈願があります。友人や愛する人がどんな重い病気からも1日でも早い回復することを望み祈り送ります。
千羽鶴を折るには手間暇が非常にかかるため、学校やコミュニティーなど、複数の人が一緒になり折るのが一般的です。そのため、チャリティーイベントなどで、千羽鶴作りが採用されることがよくあるようです。
メモリー・オフ・ハナノも折り鶴のコンセプトを使い、チャリティーイベントなどを開催する予定です。イベントは学校や職場、また、公民館などの公共の場での開催を予定しております。イベントに参加していただいた方とは臓器移植について共に考える機会の場とさせて頂き、希望者には募金を募ります。みんなで作った千羽鶴は、希望先があれば病院などに寄贈させていただく予定です。
Media
Japanese Media
- 1歳半で脳死移植 朝日2013年07月12日(PDF)
- 華乃ちゃんを忘れない シンガポールで臓器提供した女児しのぶ行事 脳死移植への理解呼び掛け 産経2014年9月9日(オンライン)
Singapore Media
- Toddler becomes Singapore’s youngest solid organ donor The StraitTimes 9th July 2013 (Online)
- SHE’s SINGAPORE’S YOUNGEST ORGAN DONOR The StraitsTimes 9th July 2013 (PDF)
- Toddler becomes Singapore’s youngest solid organ donor ShinMinDailyNews 9th July 2013 (PDF)
The Straits Times RAZOR TV
Links / References
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